セーリングヨットハーモニーⅥによる世界一周航海


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最終回 帆友51号寄稿文

2012年11月末帰国した直後、左下腹に痛みを感じたので、健康診断も兼ねて近くの病院へ行った。看護師に健康診断もいいがとりあえず腹の痛みの方を診てもらいなさいといわれて、診察を受けるとCTを撮られた。診断は左側の尿管に結石がある。すぐに破砕手術をしたほうがいい。この病院には破砕手術の設備はないので別の病院への紹介状を書くという。そちらへ行って、3週間後の手術の予約をする。

その一週間後、12月9日、急に腹が張って痛くなった。明らかに尿管結石とは違う痛みだ。バヌアツで罹った腹痛と似ている。日曜日であるが、あまりひどいので家人も一緒に結石破砕手術の予約をした病院の救急窓口へ行く。腸閉塞で即入院となった。

10日間入院し点滴を受け続け何とか収まってきたので12月18日退院。今度は尿管結石の破砕手術を受けるために12月24日入院。翌日手術するというときまた腹が張って強烈な腹痛。腸閉塞が再発。これでは結石破砕手術はできないということになった。尿管結石は大きくて尿管を塞いでいる可能性がある。このままでは左の腎臓が機能しなくなる恐れがあるとのことで、急遽尿道からステント(細いパイプ)を入れる手術を行って、破砕手術を先送りして、腸閉塞の治療に専念することになった。

このステントを入れる手術がまたかなり痛い。腸閉塞の痛みもプラスされ、抵抗力、免疫力が落ちていたのか、今度は帯状疱疹を発症した。入院中なので、すぐに皮膚科医が来て帯状疱疹のウィルスを退治する点滴を開始。結局年末を病院で過ごし、1月4日に退院。

退院後、帯状疱疹の痛みがさらに増してくるが、皮膚科医は痛み止め(ロキソニン)をくれて直るまで我慢するしかないないという。あまり痛みがひどいので、航海中メールドクターとして時々メールや電話で医療相談に乗ってくれた私の中高時代からの友人でペインクリニックのドクターMに相談すると、横浜のペインクリニックを紹介してくれた。

そのクリニックで週3回神経ブロックという背中の神経節に鎮痛剤を注入する療法を受けていたが、一向に回復しないので、2月中旬横浜市大病院麻酔科へ入院することになった。海沿いにある市大病院の8階の病室からは現役のヨット部員が練習しているところがよく見えた。

12日間入院してあまり改善されないまま退院し、通院を続けているが、最近になってやっと少し痛みが和らいできた。

帯状疱疹の症状は人によって異なるらしいが、あと数ヶ月は付き合うことになりそううだ。結石の破砕手術は3月下旬に受けたが、破砕されたかどうかの確認はまだできていない。腸閉塞は、食事に気をつけていて、酒はまだ以前のようには飲めない。結局、帰国後4ヶ月間入退院を繰り返していた。これらの病気が航海中に発症しなかったのがせめてもの救いだ。

ブログは、プーケットに入港した時点で完了と考えていたが、今回は大学のヨット部が毎年発行している部誌「帆友」第51号へ寄稿したものを掲載する。

ヨットで世界周航 ハーモニー通信5 最終号 
(南太平洋フィジーからタイ、プーケットへ)
                                 昭和46年卒 須藤 尊史

今回は、南太平洋のフィジーから、世界一周を目指して2008年12月出港したタイ・プーケットへ帰港するまでの、最終のクルージング便りです。

グーグルアースの航跡の一番右側の島がフィジー。そこからバヌアツ、パプアニューギニアを経て、オーストラリアの木曜島へ。カーペンタリア湾を西へ横断、ゴウブ、ダーウィンへ。ダーウィンからはヨットラリー・セールインドネシアに参加して、インドネシアの島々を巡り、シンガポールの北、マレーシアのジョホールバルへ入港。マレーシアの港や島を巡りながらマラッカ海峡を北上、タイ・プーケットへ帰港し、世界一周航海を完結しました。

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今回は最後のレグ 右のフィジーから左上のマレー半島の中ほどのプーケットまで

2012年4月19日、大韓航空の便で、韓国のインチョン空港経由、フィジーのナンディーへ戻る。ハーモニーは、陸揚げしてあり、中で宿泊できる状態ではないので、暫らくはホテル暮らしをしながらメンテナンス、出港準備をする。

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フィジー デナラウマリーナで これからハーモニーを海に浮かべる

ホテル暮らしでも、食事当番は再開。食材をナンディーの町で仕入れてホテルのキッチンで食事を作るが、たまにはマリーナの近くのレストランで食事をした。

メンテナンスの部品が予定通り到着しなかったり、業者の修理が長引いたりして、フィジー出港は当初予定より延びたが、5月11日、次の目的地バヌアツへ向けデナラウマリーナを出港。4日ほどの航海となる。

バヌアツは南緯13~20度、東経168度付近、南北1000km以上の海域に85ほどの島が点在する1980年独立の新しい国。セーリングは順調で、当初予定より1日近く早くバヌアツの南端のアナトム島に到着。

その数日前から、私は腹が張って腹痛に悩まされていた。たまたま大型豪華客船が沖に停泊したので、無線で船医に診察をお願いすると近くの無人島で診察を受け薬を貰うことができた。その後、病院のあるバヌアツの首都ポートビラへ向かう。

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バヌアツ アナトム島の沖に停泊していた豪華客船の船医に診察してもらう

ポートビラの中央病院には、海外協力隊の日本人看護士もいて世話になった。事前に連絡を取り合っていた太平洋を周っている日本艇「キングビー」、「影虎」の2隻も入港してきた。彼らとは島内観光、またポートビラ在住の日本人の方たちとも楽しい時間を過ごした。

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PNGへ向かう途中であった地元のアウトリガー漁船

バヌアツを出港してパプアニューギニア(PNG)へ向かう。6月17日、PNGの首都ポートモレスビーへ入港。

ポートモレスビーからオーストラリアの北東ケープヨーク半島北端の沖に浮かぶ、サーズデーアイランドへ向け出港。6月28日朝、サーズデイアイランドへ入港。

ここでの入港手続きは、さすがに先進国、女性係官もいて、皆威張らず、尊大ではなく手続きを要領よく親切に進め、地元の情報もくれた。ここのところ開発途上国での出入国手続きでは官僚風を吹かす係官が多かったので、その違いに心地よさを感じた。

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サーズデイアイランドでのオーストラリア入国手続き ハーモニーの船上で

サーズデイアイランドには、明治初期1878年から真珠貝等海産物の漁業を始め、地元の漁業振興に寄与してきた約700名の日本人が地元の人と並んで葬られていた。

6月30日サーズデイアイランドを出港、オーストラリア北部の大きなカーペンタリア湾を3日かけて西へ横断し、ボーキサイトの積出港、ゴウブへ入港。小さな町だがここにも立派なヨットクラブがあった。そこから4日かけてダーウィンへ入港。

ダーウィンには、日本から、ヨット部OBのYさんはじめ計6人がジョインし、北オ―ストラリアの観光をエンジョイした。私は、息子の結婚式がハワイであったので、彼らとはしばし別れ、シドニー経由でホノルルを往復した。

ダーウィンからは広いインドネシアを横断するセールインドネシアというヨットラリーに参加した。ラリーに参加すると、行く先々の諸手続きもコミッティーが手助けしてくれるし、イベントやパーティーも用意されている。1艇500オーストラリアドルの参加費は、割安だ。

7月28日、ダーウィンのファニーベイからセールインドネシアヨットラリーがスタート。ラリーはレースではないので、エンジンで走るも、セーリングで走るも自由。

100隻以上のラリー参加艇は、スタート後北へ向かい、サムラキへ行くグループと、西のクパンへ行く二つのグループに分かれて、それぞれ次のインドネシアの港を目指す。

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セールインドネシアのスタート 100隻のセールボートが一斉にスタートしていった

我々はサムラキへ向う組。2日後にサムラキの町の前の湾にアンカリング。上陸して入国手続きが終わると、町をあげての歓迎パーティーが待っていた。

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町の有力者による歓迎の挨拶の後、我々の航海安全祈願をしてくれる。サムラキ滞在中、ラリーコミッティーがパーティーや無料のバスツアーを用意してくれていて、至れり尽くせりの歓迎ぶりだ。

町によって多少の差はあったが、ローカルガバメント(地方政府)のツーリズムデパートメント(観光課のようなところ)が目一杯の歓迎。観光客誘致を目的にそれぞれの観光地を売り込んでいるようだった。

結局、インドネシアを出国するまで、約12箇所の町で暖かい歓待を受け、存分にインドネシアをエンジョイできた。それぞれのローカルコミッティーには心から感謝したい。

インドネシアは東西5,100km、南北2,000km、赤道をまたがる1万8,200もの大小の島々。人口は2億3000万人、言語は800、と大きな国だ。この国を南東から北西へ斜めに3ヶ月かけて横切ったことになる。その多様性豊かな文化、人々、自然に深く興味をそそられた。

10月末、インドネシア最後の港を後にして北上、シンガポール海峡を縦断し、シンガポールとマレーシアの間のジョホール水道へ入って行くとマレーシア側にジョホールバルという大きな町がある。11月1日、その町のはずれのダンガベイマリーナに入港。

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シンガポールの北、マレーシアのジョホールバルにある、ダンガベイマリーナ

ここが、新たにスタートするセールマレーシアというヨットラリーの集合場所となっている。我々は、ここから先、タイのプーケットへ帰港して世界一周を完結するわけだが、暫らくはマレーシアの西岸に沿って航海を続けるので、ラリーに入っていたほうが、ツアーやパーティー等も道中知り合った連中と楽しめるし、ラリー参加費も高くないので、セールマレーシアヨットラリーにも参加することにした。

このダンガベイマリーナには日本から私のヨット部先輩、YさんとIさんもジョインすることになっていた。11月5日早朝、彼らをシンガポール空港へ迎えに行く。その晩は、セールマレーシアヨットラリーのウェルカムディナー。フルコースディナーに、歌あり、踊りありの歓迎パーティーは、日本から到着したばかりの二人にもエンジョイしてもらえたようだった。

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ダンガベイマリーナのウェルカムパーティーでYさん、Iさんと

11月6日、Yさん、Iさんを乗せてダンガベイマリーナを出港、マラッカ海峡へ出て北へ向かい、マレーシアのマラッカ海峡沿いの港、ポートディクソンを目指す。ワンナイトでポートディクソンのアドミラルマリーナへ到着。ここでもウェルカムディナー。

その後、我々は先を急ぐので、ラリーメンバーと別れて、アドミラルマリーナを出港。インド洋に浮かぶマレーシアの有名なリゾートアイランド、ランカウイ島に寄り、ハーモニーの売却を依頼する代理店と契約を取り交わす。ハーモニーは50フィート。日本へ回航しても、係留料が高く持ちきれないので手放すしかない。ランカウイを出港し、11月18日、タイ、プーケットのヨットヘブンマリーナに帰港した。

2008年12月15日タイ、プーケットのヨットヘブンマリーナを出港以来、ヨットヘブンマリーナへ戻るまでの航海日数(日本へ帰国した日数を除き)は、1058日であった。

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世界一周航海を終え、プーケットヨットヘブンマリーナに到着直後のハーモニー


この間、50カ国以上の国を訪れ、様々な人種と出会い、世界には多くの言語、宗教があることを改めて知った。英語でコミュニケーションができ、人種、言語、宗教が違っても十分に分かり合えることを実感した。

ヨットに関して言えば、地中海、例えばイタリア、フランス、スペイン等の先進国では設備の整った大きなマリーナが行く先々にあり、日本とは比べ物にならないほど洗練されたヨット文化が根付いていて、大きな規模の産業となっていた。それらを目の当たりにして、日本とのギャップに呆然とした。

西欧以外では、マリーナがあっても地元の利用者は少なく、ヨットはまだまだ西欧人の世界の遊び(スポーツ、レジャー)だと感じた。ヨットは遊びであるが、遊びは文化である。文化は産業を産み、経済効果も雇用創出も期待できる。

また、ヨットは平和の象徴でもあるとも言える。戦争中の国ではヨットは乗れない。世界中にヨット文化、産業が発展し、もっと多くの人がセーリングを楽しむ時代が来ることを願ってやまない。
by harmonynews | 2013-04-12 22:49