10月18日、テンダーのエンジン用のガソリンと清水20Lボトル12本を調達。夕方、ラリーコミッティーのマディーに誘われ、ディンギーを引き上げたビーチから100mほど西にある、例の立派な施設の前で行われている舞踊ショーを見に出かける。この晩の男性による踊りは、この島に住んでいるバリ人の踊りとのことだった。
この島のバリ人の若者による踊り
10月20日午前中、マディーに車を手配してもらって、ラリーのドイツ艇、「Y'Not」のカップル(グンター、ウタ)と一緒に、町へ買い物に出かける。今日のドライバーは町まで34kmと言っていた。往復半日チャーターで250,000ルピア(約2000円)。こちらの値段としては安くはない。
道中、ドイツ人グンターといろいろ話す。グンターとウタは二人ともバツイチ。ドイツの離婚率、出生率、エネルギー事情、EUの経済情勢等々。ドイツは、原発廃止の政策を取っている。彼も原発は反対だが、風力発電の風車が家の近くにあれば鬱陶しいし、ソーラーパネルで屋根を覆うのも好きではない。難しい問題だと言っていた。
ドイツ人グンターとウタ
野菜、牛肉、烏賊、小魚の干したもの等を買い、豚肉はあるかと聞いてみると、ドライバーがローカルマーケットのはずれの小さな建物へ連れて行ってくれて買うことができた。この島はモスリム90%以上の土地柄、豚肉はローカルマーケットの隅で密かに売られていた。
ワインを買いたいと言うと大きなスーパーへ連れて行かれたが、そこには売っていなかった。他の食料を仕入れる。ビールは何とかなるが、それ以外のアルコール類の入手は難しい。
その足で博物館に寄る。近年の歴史的な展示品や、この島の錫の鉱石採掘の歴史が展示されていた。錫はこの島の主たる産業だそうだが、埋蔵量的にも先が見えてきたので、観光産業や他の産業を模索しているところだそうだ。
隣に動物園が併設されていて、ウタがスマトラのオランウータンが1匹檻に入っているのを見たが、寂しそうだったと言っていた。ドライバーは、自分が子供の頃あの雌のオランウータンを見たので、もう40歳近くだろう。彼女は他のオランウータンとなかなかカップルにならないそうだ。オランウータンは世界中で、ボルネオ島とスマトラ島にしか生息していない。
帰り道、ドライバーに、私の娘が明日結婚式を挙げるので出席しませんかと誘われた。インドネシアのローカルの結婚式に出席することにした。
翌10月21日朝8時半、小雨模様の中、ディンギーでビーチのレストランへ上陸すると別のドライバーが迎えに来てくれていて、コミッティーのマディー、グンター、ウタと一緒に花嫁の父親の家へ向かう。近づくと庭のあちこちにテントが張られ、その下に置かれた椅子に大勢の人が座っている。裏庭では大勢の女性が料理を作っている。
花嫁の実家は人が一杯だ
例の昨日のドライバーがいて英語で説明してくれるが、どうやら彼の英語力と語彙力の問題で、今日の花嫁は彼の娘ではなく、彼の奥さんの妹の結婚式だそうだ。彼の奥さんにも会ったが、彼女は、小・中学校の英語の先生だそうだ。小学生も片言の英語を話す。
そのうち、花婿の一団が、近くの家から歩いてこちらへ向かってくる、花嫁の家の前で代理人同士が、たぶん、入れてくれとか娘さんをくださいとか言って、押し問答しているようだ。これが慣わしらしい。言葉がわからないが、時々観客から笑い声が聞こえる。面白いやり取りがあるのかもしれない。
花婿の一団が歩いて花嫁の実家へ向かってくる
これがかなり続いた後、やっと花婿が花嫁の実家へ入り、中で長老たちに囲まれて式をあげているようだ。アラビア語のイスラムのお祈りのようなものも一部聞こえる。中に入って写真を撮ってもいいですよといわれ中に入ってみる。まだ花嫁は一番奥の部屋にいた。それから二人は長老たち全員と挨拶を交わす。
その頃、列席者に順番にお皿と飲み物が配られ、食事をいただく。その後やっと新郎新婦が外へ出来て、テントの下の装飾を施した壁の前でお披露目。
新郎新婦がテントの下の装飾を施した壁の前でお披露目
列席者は順番に、テントの前に置かれた箱に封筒に入れたお祝い金を入れ、一人ずつ新郎新婦と握手しながらお祝いを伝える。新郎新婦は英語ができるようだった。来週は、新郎の家でもう一度結婚式をするそうだ。
関係者と挨拶を交わして、式場(新婦の実家)を離れた。帰りがけに近くにバリ人が住んでいる村があるので行って見ますかと聞かれ、訪ねてみる。村の入り口には、例のヒンドゥーの割れ門があり、そこからが、バリ人のヒンドゥーの村。道端のヒンドゥーの家で、別の結婚式をしていた。車を止めて、許可を貰って中へ入り、こちらの結婚式も見学させてもらう。
バリの家は、大小、簡素か立派か差はあるが、各家々の庭にヒンドゥーの寺があり、ここでは、お供え物がたくさん飾られた露天の祭壇の前で式が行われていた。こちらの二人も幸せそうだった。式を執り行っている人たちも、我々を歓迎してくれているようだった。
お供え物がたくさん飾られた露天の祭壇の前での結婚式
こちらの二人も幸せそうだった Be happy と言って握手して祝う
その後、村のヒンドゥーの寺に行ってしばし休息。この島のバリ人は、1993年、当時のインドネシアの政策の一環として、錫鉱山の労働者として人口の多いバリ島から、この島に60人移住してきたそうで、今では人口600人になっている。先日、ビーチの大きなの施設の前で見たヒンドゥーの踊りの男たちは、このバリ村の人たちだそうだ。宗教が違っても仲良くやっているが、宗教の違うもの同士の結婚はまだ難しいようだ。